2020/05/20 02:53
5月19日 晴れ ときどき くもり
そしてすぐさま目に飛び込んでくるこの流れつき!
釉薬の!アイヤー!!やられちまったぜ!
焼く前の心配は実を結んだようで、
やはり電気窯のコイルが老朽化しているせいで、
温度が低いまま時間だけ長くかかってしまった
そんな感じの焼けすぎな状態です。
棚板まで流れ着いちゃっている上に、
この釉薬には普段でない感じのピンホールが
えらい出てるけど、その割に
色が溶けきった発色ではないので
これは今回の焼け方が
この釉薬と合わなかったんでしょうね。
コイル交換をケチらずにおけばこんなことには、、!
でももう窯自体がイカれつつあるから
どうせ変えるなら新しい窯を!
と思うけど しかし
そんなもん買える台所事情であろうはずがない!
庚申窯は存続できているのがおかしいくらいの台所なのですから!
というわけで、
万全の電気窯はしばらく手に入らないので
これは釉薬を調整するか
灯油窯の方で焼くかですね。
割とどちらも行けそうな算段はついているので
あとはチャレンジするのみ!
失敗?そんなもんは陶芸にはつきものさ!
あっはっはー!
そうなのです。
焼き物作りは常にトライアンドエラー。
特に庚申窯のいい感じの釉薬は
台所事情と同じく
微妙なバランスで成り立っているので
失敗も多いのです。
今回みたいに完全に失敗することもあれば
なんか色がパッとしない
というような地味な失敗のパターンもあります。
私は繰り返しの失敗を経てきたおかげで
このような時はむしろ
「上等じゃねーかい!んにゃろめい!
ダメになった倍の数作ったるわい!」
と やる気 元気 いわきモードに突入します。
怒りというのは大変効率の良いエネルギーなのです。
あと締め切り。
人間は感情の生き物なので
理性でどうこうする時よりも
感情の乗っかった時のパフォーマンスは
「そんなにやれる子だっけ!?」
と 自分でもびっくりするくらいの馬力がありますから
この感情の見極めが
何をやるにも重要であると思います。
馬力が強い分 暴れ馬のようなものなので
きちんと目的地に辿り着けるかはわかりませんが、
それを含めてうまく付き合うことが肝要ですね。
理性のエネルギー効率だと
やっぱり人力って感じですもの。
もちろん理性によって制御された状態で
80点くらいの仕事をやり続けるのが
プロフェッショナルだと思うので、
こちらの方は訓練が必要ですね。
ま でも今回は水色の小皿がダメになっただけで
↓こっちの色の方は、今の電気窯の状態でも
いい具合に焼けています。
たぶん緑青(ろくしょう)は高温度帯でゆっくり焼かれると
いい色になると思います。
形を変更したこの丼も↓
普通の形だったら緑が流れすぎなのですが、
足を高くして、腰を絞った形のおかげで
むしろこのくらいの方が
押し出しが強くて良い感じだと思います。
あと小皿では全滅だった水色の釉薬も
丼の方はまあまあな出来で、
流れつかない形にしたおかげで
釉薬の垂れたところが有機的な形になって
器のアクセントになっています。
おかげでめちゃくちゃ釉薬の玉できたけど。
いっぱいできるから やはりこの玉の
使い道を考えた方がいいかもしれませんな。
今回目立った被害は水色の小皿だけだったので、
そんなにひどい失敗ではなかったようです。
まあ小皿の枚数分の制作時間が
無に帰したわけですけども。
売り物になれなかった傷だらけの天使たちは
工房すぐ横の
失敗作たちの置き場にしばらくおかれます。
これは私の中で作った気持ちが
成仏するまでのあいだ置いておいて、
もう十分だと感じたら庭の奥の
物原(ものはら:失敗した焼き物をわんさか捨ててるところ)
に捨てに行くという流れになります。
ところが
捨てる神あれば拾う神あり
ということで
この失敗作に何かしらで使い道を見いだした人が
持って行ってくれたりもします。
そのうちの何割かはうちの祖母ですが。
そういえば私が通っていた横浜国立大学にも
もったいない倉庫という、
いらなくなったものを捨てておくと
欲しい人は勝手に持って行っていい、
というなかなか持続可能な感じの場所があって
私はイーゼルやらトランペットやら
その倉庫からいただいたりしたのですが、
失敗作たちの溜まり場も
同じような機能になっていますね。
そんなもったいない倉庫は私が四年生の時に
なぜか廃止になってしまいました。
んーもったいない。
なぜだったのかしら。
いいアイデアだと思うのに。
もし街にそんな場所があったら
出不精の私でも定期的に通ってしまいますね。
そういうのって行政では難しそうだから
やはり個人でやるしかないのかしら。
庚申窯は既に親戚たちの
いらないもののターミナルにはなっていますけど。