2020/05/21 02:34
5月20日 晴れ
本日のBGM BLAZE
福岡県の緊急事態宣言が解除されたのを受けて、くろつる屋の管理人 めい が子供と一緒に庚申窯にやってきました。私の妹めいの子だから姪っ子ですね。わかりやすいような ややこしいような。
その姪っ子Y氏↑が来てるからってことで、近場に住んでいる親戚たちも庚申窯にやって来て、ワイ氏を肴に賑わっておりました。
ワイ氏にはぜひとも親戚一同から存分に甘やかされて、顔つきからして生意気そうな こまっしゃくれたガキに成長していただきたいと思っているのですが、
んなこと言いつつも子供はやはりいいもんで、いいとは言うけどそんなまた曖昧な、その理由はなんでい はっきりしろい!
なんて突き詰めるのは野暮ってもんかもしれませんが、野暮にならなきゃここから先は ワイ氏のブロマイドを並べて、いいのぉ〜 ういやつじゃ ういうい、なんて言うより他なくなってしまうので ここはひとつ野暮でいかせていただきます。
子供を見て気持ちが高揚したり、一緒にいて楽しかったりする理由というのは、生物学的にとか文化人類学的にとかで色々とありそうですが、こういう面もあるんじゃないかな と今日思ったのは、子供は感情の代行業者なのではないか、ということです。
ていうのも不肖高鶴裕太29歳、好奇心が押さえきれなくて駆け出すなんてことはここしばらくありませんし、犬猫を見かけて雄叫びを上げることもありません。
オムツが気持ち悪いからズボンごと脱ごうとしたら2枚いっぺんにやるもんだから足首で抜けなくなって それを無理くり外そうと もがいているうちに足首が変な形でロックされて 自分ではどうしようもなくなってしまい助けを求めて泣き叫ぶというようなこともなくなって久しいのですが、
子供たちは出会う物事にいちいち感情が大きくうねっていて、楽しいも嫌だもメーターいっぱい振り切ってる感じ。
一方で私のような人間は 夕凪の瀬戸内海のような心持ちで毎日を過ごしているため、彼らのあの剥き出しの感情に惹かれる部分があって、一緒にいることでその感情や 物事に対する新鮮さを共有しているのではないかと思うのです。
そんな子供の激しい感情とは反対に、実際のところ子供たちに起きている事件は、私にとってそのほとんどが簡単に解決できるものだから、安心して感情を共有していられるというのが、これまた心地いいのではないでしょうか。
子供たちがつまづいてしまうほとんどのことは、我々はスマートにこなせちゃうし、子供たちが初めて見るものは見飽きてるし、子供が理解しようとする物事の仕組みも当たり前の知識として持っている。
ということは できることや知ってることが増えていくほどに、感情の波が起こりにくくなってしまうということでしょうか。
んーそれはつまり何かを手に入れたら何かを失うっちゅーやつですかいな。そういうのはゴリゴリな成功者になって自虐的に嘯いてみたいものですね。
「ふう、全ての夢が叶ってしまった。なんて退屈なんだ。。あふん。」みたいなアンニュイ多めで。
夢は叶えるまでが楽しいみたいに、子供もできるようになるまでの成長の過程が楽しくて、できることが当たり前になるとつまんなくなるということでしょうか。
そう考えると私の焼き物作りは できないことだらけなのでしばらくは楽しんで行けそうですね。いやでもさっさとできるようになりたいですけどね。いやそれができるようになったらつまんなくなって。。いややっぱり一刻も早くスキルを。。いやその焦ってる状態こそが楽しい。。いや。。。
だんご虫リレーの様子。ワイ氏は虫もイケるようです。
高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目