2020/06/07 05:10

6月6日 くもり

本日のBGM Air

最近オブジェ的なものを作ってなかったみたいなので、昨日ろくろでお皿作ってたときの「あまり粘土」があったので一丁作ってみました。

ちなみにこの あまり粘土、木の上に置くと木が水を吸って、接地面が乾きすぎるので、吸水しない素材の上に置いたほうが粘土が均一に乾きます。大変役に立つ情報ですね。

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しかしオブジェと言っても私の場合、本当に何も考えずに作っていて、それで出来上がったよくわからんものを、オブジェという高尚なものとして認識していただけるのは大変ありがたいことだと思っております。現代美術の偉大な先人たちに感謝ですね。

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私はこういう↑ものを作る時は ほとんど自動運動で作っていまして、なにを作るとか考えないまま、手が勝手に動いてるってやつで、時間もあまりかかりません。こう書くと何かアーチストっぽいですが「だからと言っていいものができるわけではない」と言うことを予めご了承いただきますようお願い申し上げます。自動運動の成果は、なんやようわからんもんができるだけです。


だけどこの自動運動って健康にいいんじゃないかと思っていまして、たぶん箱庭療法みたいなもんで リラクゼーション効果高いんじゃないかしら。

陶芸体験に来られた方も、お皿とかは我々の作ったものを買っていただきまして、こういう無責任なものを作って遊んだ方が楽しいんじゃないかしら。

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ちなみに私は自動運動で作ると、どうも輪っかなどにご執心するみたいで、オブジェ的なものを作ると どこかを輪っかにしたりとか、穴を開けたりしてしまいます。

これはいったい何フェチなんでしょうな。神道でいうところの「何もない空間に神性が宿る」みたいな感覚なのかしら、って言っておけばこれまたちょっと芸術っぽいですよね。


本当になにも考えずに作りますので、この類のものは出来上がりに全く期待をしませんで、それが故に いざ出来上がると大概とても気に入ります。気に入らない場合は、何も考えずに作ってるから記憶に残らないのでカウントされません。つまり全部いいものが出来上がります。大変健康的です。「気を抜いてテキトーに作ったときの方がうまくいく」という説のカラクリはこの辺にあるのでは、、!?

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現代美術の人たちの努力のおかげで、無意味なものを作っても「逆にいいよね」みたいな感じで評価していただけるという大変ありがたい風潮がありますので、私も現代美術に倣ってそれっぽいタイトルをつけてみました。


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No.1「意思が自己を容認するまでの紛れもない空白と、それに携わる微かな無意識の澱」

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No.2「空間における誤認を促す冗長な会話と口角下制筋の逡巡」

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No.3「Ⅶ〜移動する意思、あるいは交流を渇望する孤独〜」


現代美術ですからね、難しげな熟語いっぱい使って、なんや言ってるようでなにも言ってない感じの長ったらしいタイトルを頑張って考えました。それぞれタイトル入れ替えても別に問題なさそうなところがいいですよね。現代美術って深読みしたら負けみたいなところありますけど、まあこんなもん話のネタになれば十分でしょ。おっとこれは現代美術を批判してるわけでは決してないですよ。いい意味です。逆に。現代美術の好きな概念「逆に」。おっとこれもいい意味でですよ。逆に。おっと。



せっかくなので手元にあった陶芸の道具もそれっぽく置いて、それっぽくタイトルつけたら それっぽくなるんじゃないかと思いましたが、このタイトルを考えるのがちょっともう面倒になっておりまして、時間にゆとりのある方は以下のタイトルを考えてみられてはいかがでしょうか。何か無駄な時間を過ごすということの快楽が芽生えるかもしれませんよ。

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「      」


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「      」

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「      」


おれ

「高鶴裕太 コウヅルユウタ陶芸家1991年生まれ2013年横浜国立大学経済学部卒業上野焼窯元 庚申窯3代目」