2020/06/11 04:42

6月10日 晴れ

本日のBGM 神田広美


前回の続きから、貴族社会について。
貴族たちと言っても元は同じ人間なわけで、一般人に比べて寿命が3倍くらいあるとか、目からビームを出すとか、手のひらから何か粉みたいなものが出る、というような明確な違いがあるわけではないため、彼らは自分たちで作ったルールを かたくなに守ることによって、貴族としての尊厳を築いていました。


そのため貴族社会における しきたり というのはかなり強固なものになり、賛成するにしろ反発するにしろ、中心にはしっかりと「貴族のルール」という軸があって、異なる価値観が育まれる土壌となる「情報」も中国との船便くらいしかありませんでしたから、貴族の社会は現代に比べたら非常に小さな世界で完結していて、彼らは みんな同じ価値観を共有していました。

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そのような形式ガチガチな宮廷の中で、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)自身も、三種の神器が揃わずに天皇になった事を意識せずにはいられませんで、なんかヘマをやらかすと周りからは

「やっぱりねー 神器ないからよねー だから徳っちゅーの? トク。徳がないのよねー やっぱり 神器ないもんねー やーねー」などと やいやい言われる始末で、こんなことを物心ついた時からずっと言われ続けてきたので、後鳥羽少年が青年になるころには 「正統な王コンプレックス」というのが心に根深〜く植え付けられていました。


通常こういったコンプレックスは、ハングリー精神となって、仕事をする気力とか出世へのモチベーションに変換されて、社会的な成功につながることが多いのですが、後鳥羽上皇は3歳の時点で 既に国のトップになっていましたから、この承認欲求を出世のために使うことができないし、出世することで周りを見返すこともできないんですね。


となると後鳥羽上皇が競うことのできる相手は、歴代の天皇たちと、目の上のタンコブの鎌倉幕府になってきます。

つまり偉大なかつての天皇たちと比べられた際に、「後鳥羽上皇様も十分にイケてるよね。てか上皇様の方がイケてない?上皇様うたがってごめえ〜ん!」と貴族たちに自分のことを認めさせたくてしょうがなかったため、後鳥羽上皇は「実力のある天皇」を目指しました。


後鳥羽上皇もまた和歌の才能があったため 歌の文化に精通して、当時「小難しいだけで つまんない」と あまり評価されていなかった 藤原定家の才能を見抜いて持ち上げたり、過去最大規模の勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう:天皇プロデュースの、和歌をいっぱいあつめたアルバム)をつくったり、

既に絶えていた古いイベントを復活させたり、一方で新人の発掘にも積極的で、史上最大の和歌フェス「千五百番歌合」を開催するなど、文化の面から見ても後鳥羽上皇は歴史上無視することのできない天皇となりました。


と同時に、優秀な王であることのアピールは政治面でも、鎌倉幕府に対しての強気な姿勢などにあらわれました、朝廷内でも、ワンマン経営者的にさまざまな改革をおこなったり、役職の任命も自ら決めたりするなど、自身が成長するに ともない政治に勤しむようになりました。ただそのワンマンぶりも、なんてったってワンマンですから、貴族たちからの評価は当然芳しくなかったみたいです。承認欲求の空回りというところでしょうか。


後鳥羽上皇もう少し続きます。

おれ

高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目