2020/06/15 04:51
6月14日 くもりときどき雨
本日のBGM Eydie Gorme and Trio Los Panchos
藤原定家(ふじわらのていか)と後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)は、残されている逸話から察するに、タイプが真逆の性格をしていたみたいです。
定家からすると、後鳥羽上皇はそれだけ芸術を見る目がありながら、なぜそれを突き詰めていかないのか、なぜそんなに他人に対して 自分をより偉大に思わせることに執着するのかわからない。
一方で後鳥羽上皇からすれば、定家は非凡な歌の才能がありながら、なぜそれをうまく使って自分の評価を上げようとしないのか、こだわりなんて犬も食わないんだから そんなもの捨てて効率よく生きていけばいいのに。
という感じで、2人は「才能」に対するスタンスが異なっていて、お互いにお互いのことを理解できなかったのではないかと思います。
後鳥羽上皇にとって才能とは手段であり、目的を達成するために欠かせない武器であるのに対し、
定家にとっての才能は、それ自体が目的であり、自分が才能に奉仕する生き方を選んでしまう、というところではないでしょうか。
新古今和歌集で一悶着あった後も、後鳥羽上皇は願掛けの屋敷を作るにあたって、「日本各地の名勝をふすまに描いて、その絵にふさわしい和歌をあてがってくれ」と定家にオーダーしましたが、
「いや、わたしはもうやりませんよ。だってすぐにそれはダメだとか、こっちに変えろとか言い出して、私が反論しようとしたら潰してきますよね。もうやりません。うんざりです。いやです。お断り。ノー。グッバイ。キャンセル。」と断るものの、
「いや〜定家ちゃんさ〜 悪かったよ新古今和歌集の時はさ〜 でもおれも反省してるし、もう二度とやんないから!ね!頼むよ〜定家ちゃんしかいないんだよ〜、ね!もう自由にやっていいからさ〜 口出しなんか絶対しないから!お願〜い」
それならば と定家はこのオーダーを引き受けて、結構ノリノリで絵の配置を考えたり絵師に指示したり、それにあてがう歌も自分でつくっていたのですが、
やはりといいますか 案の定といいますか 世の常といいますか、またもや介入が入ってきまして、定家も
「うおおいおまえ舌の根も乾かずにいい!」と言うもののクライアントは絶大なパワーを持っているのでやはり言いなりになるしかなく、しぶしぶ襖絵を完成させました。
この辺りにも性格の違いが出ていて、定家にとって自分の発言というものは守るべきものであり、約束をたがえることは恥であるのに対して、
後鳥羽上皇にとっては自分の目的を果たすためのことなので、これは嘘には当たらず、自身の中に矛盾や葛藤は起きないんですね。ていうか嘘をいいとか悪いで判断していないと思います。効果があるかどうかくらいのことじゃないかしら。
こういうことは様々な職種の制作現場とクライアントとの間で現在でもめちゃくちゃ起こっていそうな事ですが、「相手は自分とは違うルールで生きている」ということを知っておくと、そんな場面に遭遇した時の憤りもやわらぐかもしれません。
この出来事に対して少し邪推をすると、当時、定家の芸術の才能は突出していて、そのまぎれもない才能を権威の力で屈服させることによって、後鳥羽上皇は自己を保っていた面もあったのかもしれません。
貴族たちの尊厳はルールの上で成り立つものでしたが、定家の才能はそれだけで誰からも尊敬される「確かなもの」で、それをおとしめることで「おれは偉いんだ」と実感できるといいますか。
さて当時の日本は、東日本は鎌倉幕府、西日本は朝廷という2つの政権が睨み合っていた状況だったのですが、幕府側からの折衷案(せっちゅうあん:それぞれの意見を取り合わせて 良いところで折り合いをつけること)で、
鎌倉幕府の次期将軍に後鳥羽上皇の子供を迎えて、皇族将軍とする絵図が描かれ、一時的に東西の関係は安定します。
しかし鎌倉幕府の3代目将軍がまたもや暗殺され、このことで後鳥羽上皇は幕府を信用できなくなり、両者の緊張は急激に高まります。
後鳥羽上皇と藤原定家まだ続きます
高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目