2020/06/17 03:03
6月16日 晴れ
本日のBGM Eartha Kitt
前回の続きから朝廷と鎌倉幕府について。
鎌倉幕府の初代将軍は源頼朝(みなもとの よりとも)ですが、頼朝はなかなか疑り深い性格だったみたいで、武功をあげた親戚とか弟とかを「あいつら優秀だし人望もあるから、俺の地位を奪うつもりなんじゃないの?いや、そうに違いない。だって俺ならそうするもん!」
と源氏一族を身内にもかかわらずバンバン殺して、そのおかげで源氏の人々は、頼朝の家だけ残してほぼ途絶えてしまい、「でも俺んちが残ってるから大丈夫!これからの源氏は全部俺の子孫になるんだ」
と思っていたのに、「1192作ろう鎌倉幕府」から10年もしない内に 頼朝は馬から落ちたことで体調を崩して死亡、と されていますが この辺がまた曖昧らしく、状況的に見て暗殺されたのでは?という説もあります。
頼朝が死んだので頼朝の息子が2代目将軍に。しかし息子は頼朝の妻の実家「北条家」の人々によって、幽閉されたのちに暗殺されてしまいます。そして3代目将軍には、頼朝の末っ子の実朝(さねとも)が就任します。それが実朝12歳の時ですね。
実朝の兄弟は既にみんな死んでいて、父が創った鎌倉幕府もすっかり北条家の人々に乗っ取られてしまっており、しかもそれは兄の仇でもある者たちに囲まれての暮らしですから、実朝の人生というのは いいとこの生まれであるのにその実態は相当にハードボイルドなものだったみたいです。
そんな環境ですから実朝は お飾りでいるしかなかったんじゃないかと思います。最初から のど元を押さえられていて、野心をもったりしたら すぐさま首が落ちる という状況で、自分が幕府のトップであるのに周りは敵ばかり というしんどいものでした。
そんな実朝が心の拠り所にしたのが和歌でした。どうしようもない絶望をうたうのが「詩」であるそうですから、実朝もまた優れた歌人であったようで、それと言うのも思春期の真っ只中にそんな状況ですから これはたっぷり酔えますよ。ええ。
悲哀とか絶望とか孤独とか陰謀とか、飾りだけの王位とか、家族の確執とか、命を狙われてるとか、殺された兄、そして父も。。?とか、思春期と相性抜群な状況や言葉がてんこ盛りですから、これはさぞ いい歌が作れたんじゃないでしょうか。悲劇の主人公、酔どれ思春期ポエットですね。
その実朝に子供がいなかったので、後鳥羽上皇の息子を後継ぎにしましょうと言う話が出て、朝廷と鎌倉幕府がちょっといい感じになってたところに、実朝が暗殺されてしまいまして、後鳥羽上皇は
「むりむりむりむり、そんなところに子供をやれるかいや!もうお宅とはつき合いやめさせてもらいます!」と幕府を全く信用できなくなり、幕府と朝廷の関係は再び悪化してしまった と言う事なんですね。
この実朝が暗殺された事で源氏一族は途絶えてしまい、鎌倉幕府は北条家のものとなりました。鎌倉幕府で源氏が生きて 実権を持っていた時間は30年にも満たず、儚いものでした。
頼朝の疑心暗鬼のせいで自らの首をしめたのが原因 とも言えますが、平家だけでなく源氏もまた「おごれるものは久しからず」を体現することになったわけですね。
さて藤原定家(ふじわらの ていか)は手紙のやり取りという通信教育で、実朝に和歌を教えていて、実朝の歌の才能にも感心しており、宮廷文化を東の地に広めようとする彼の態度も こころよく思っていました。
その実朝が暗殺されたという報せを受けた定家は、後鳥羽上皇の歌会で、実朝追悼の歌を詠んで、それがまた死を連想させる縁起の悪い内容でもあったので「お前なんか2度と会うもんかー」と後鳥羽上皇を大変怒らせます。
定家が実朝と親しくしてるのも前々から気に入っていなかったでしょうからね。もしかしたらそのことを、「定家が幕府に鞍替えしようとしてる」というふうに捉えて、自分の威光の陰りのように感じてしまっていたから かもしれません。
藤原定家また続きます
高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目