2020/06/29 03:45
6月28日 くもりときどき晴れ
本日のBGM Yeah Yeah Yeahs
今日友人と話をしてる中で、「晴れ男とか雨女とかの話題で ご飯を何杯もおかわりしようとする輩に腹が立つ」 という見解が飛び出してきまして、
ここぞという時にはあいつを呼ぶと晴れるんだ、私が参加しちゃうと絶対に雨が降っちゃうの、この娘と出かけて天気が悪かったことは本当にないわ、お前が来ると雨降らない?
このような愚にもつかない会話を平然とする連中に我々は怒り心頭でございまして、何にそんな腹を立てているのかというと、このくだらない会話を10分以上続けやがる神経と、そんな連中が意外に多いという事実に発狂寸前なのです。
まさかとは思いますが 本気で ひとりの人間の空間座標と、その地域一帯の天候が連動している、などと言うことを信じているわけではないですよね? もしこれをガチで信じているとしたら 我々の手には負えないくらい病巣が奥深くまで達しているのですが、
「本気で信じてはいない、でも会話のバリエーションの一つとして、雨男晴れ女のテンプレートを挟み込む」 このくらいのことでしたら我々は何も文句ございません。大変結構なもんです。
「はい晴れ男の話題でました、はい相手が受けてエピソードを出しました、はいもう一回戻ってきてこちらのエピソードも出しました、あっはっは、はい終了。」というようなワンセットでしたら なんの不満もありません。むしろ社交辞令をちゃんとこなせる素敵な方だと思うのですが、
これを1ラリーでは満足せず、偶然の範疇で片付けられるエピソードを得意顔でいくつも並べ立てる彼らを見ていると、私は世界の輪郭が歪むような錯覚に陥りまして、
喉が張り付いて声が出なくなり、手足は付け根から爪先まで痺れて、口の中に金属のような味がして、髪ははらはらと抜け落ちて、呼吸がうまく出来なくなり、肝臓の数値がとんでもないことになってしまいます。
何が許せないってエピソードが弱いことが許せないんです。「あいつがいたら あの時も晴れたし あの時も晴れた。だからあいつは晴れ男。」そんなもんにどうやってリアクションせえと言うのですか。
つまり晴れ男とか雨女のエピソードなんて完全にひとパターンしかないんです。登場人物とシチュエーションが変わるだけで、同じ話を繰り返しているだけなのです。
「ていうか ひとりの人間の力でどうやって天候が変わるんですか、メカニズムを教えてくださいよ」などと差し込んでみたら、そんな野暮なことは言うな みたいな雰囲気になりますよね。
こういうことを言うのは「このラリーもう賞味期限切れてますよ、そろそろ別の話題に移りましょうよ」というメッセージであるんですけど、それより噛んでも味のしない話を延々と続ける方が野暮じゃあねいのかい。どうなってんだい。
むしろこの質問によって、そのメカニズムを無理くりでもいいから考えて、それをまた一つの話題にしてやろうという発想に至らないこともまた腹立たしいのです。
大体この人間中心の考え方を良しとする考え方にまたゾワゾワしまして、天気という、すべての生き物に関わる問題を、なにを人間だけの出来事のように話してやがんだ と思いますの。
そう言えばノアの方舟伝説だって、堕落した人間を罰するために神様が洪水起こすけど、良い人間だったノアの一族と、全ての動物のつがいだけを船に乗せて助ける、って話だったと思いますが、堕落したのは人間で、動物は何も悪くないですよね。なにを動物まで巻き込んでやがんでい。神様どうなってんだい。
それと晴れ男雨女の一連のやり取りって言うのは コミュニケーションが目的化している話題なわけですよね。
会話の間を埋めることが目的の、内容はどうでもいい予定調和な代物で、だから初対面の男女数人の集いとかで やたらとこのテンプレートが出てくるわけですよね。
とにかく喉から音が出て鼓膜が震えればいいのであって、そのグループの親近感を高めるための「間つなぎ」みたいなものだと思います。
この毒にも薬にもならない感じというか、フニャフニャして捨てどきがわからない最近の味長持ちガムみたいな感じが苦手なんです。一体なんなんだこの時間は と思っちゃうんです。
ということは、空気の読めないやつがこの手の話題を嫌うということでしょうか。自分で書いていて どうも私や友人が少数派で、むしろ迷惑をかけている側なのかもしれないと思いましたね。この話題に平然と付き合えるのが大人なのだと言われれば確かにそうかもしれません。
じゃあ大人なんだったら ちゃんと責任もって さらなる妄想にも付き合っていただいて、
どうやったら いち個人がそこにいるだけで天候に影響を与えるのか というメカニズムを真剣に論じ合ったり、
もしそんな人間が実在したらその人は一体どのような人生を送ることになるのか、雨という概念を持たない男や 青空という概念を持たない女はどんな風な思考回路になるのか、とかそんな空想を広げることも許していただきたいです。
そして私に「晴れ男雨女」のテンプレートを持ちかけた場合には、「晴れ男とか雨女とか言ってる奴らどうかしてるぞ」というテンプレートが返ってきますのでご注意ください。
高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目