2020/07/02 03:52

7月1日 くもりときどき晴れ

本日のBGM Letting Up Despite Great Faults


前回 創作活動というのは自分の中の物語を伝える行為だということを書きましたが、感動を相手に伝えるためには、相手の記憶の中に 感動に至るための土台を築かなければいけません。


映画の場合だと、2時間通して物語が組み立てられた上でクライマックスを見るから感動があるのであって、クライマックスだけ見ても感動はしないですよね。

映画は 映像と音楽と脚本で、制作者の意図したものをかなり正確に、多くの人に伝えることができて、さまざまな要素が盛り込まれていることから総合芸術とも言われておりますが、一方 和歌は それとは真逆の方向に進化したものです。


和歌というのは文字で読むものではなく、聞いて初めて効果を発揮するものでして、あのやたらと語尾を伸ばす歌を聞くのは はっきり言って退屈です。しかしこの退屈が重要でして、退屈だからこそ想像力が動き出し、そこに投げ込まれた言葉から情景が脳内に浮かび上がります。


例えば「滝」と聞いた時、滝をたくさん見たことのある人の方が、より多彩な滝を思い浮かべることができます。

頭の中は映画の画面とは違ってワンスクリーンではなく、さまざまな滝が同時に出てきてもOKで、それらが組み合わされた結果、現実に見てきた滝のどれとも違う、自分だけにカスタマイズされた「理想的な」滝の情景が頭の中のスクリーンに映し出されます。


それと同時に 滝にまつわる思い出が浮かんできたり、滝に関する故事や周辺知識も重なって、想像力が強い人ほど 一つの言葉からさまざまな情景が浮かんできます。

そこにまた別の言葉が続くと、すでに浮かんだ情景に新たな景色がオーバーラップして、現実の表現ではありえない光景が、それは奥行きがあって、多層的で、細部にどこまでも近づくことができて、時間の順序も混在している4次元的な立体が、聞き手の脳内に描き出されます。


歌い終わるまでの短い時間、頭の中に描かれた情景は現実のどこにもないもので、実際の技術レベルに縛られず、空想の中どこまでも自由に広がります。

空想での創造物だから、同じ歌でも聞くたびに違う情景が浮かび上がり、その時の自分にとって「理想的な」景色や物語が頭の中に浮かび上がります。


これと同じことをやっているのが落語でして、落語好きの人が同じ話を何度も聞けるのも、むしろ回数を重ねるほどに、その話の理解度が増して 想像力が鍛えられ、より鮮明に情景を描き出すことができるからです。


だから退屈が初期条件になるのですが、もしこの面白さにハマったなら より積極的にイメージを膨らまそうとするはずで、上手な聞き手ほど、のんびりした見た目とは裏腹に脳が高速回転していると思います。


和歌はたった31文字だからこそ、余計な詳細が省かれ、最低限の想像の種だけを巧みに配置することで、聞き手はその種から自分専用の情景や物語を描き出すことができます。

そんな和歌を 後ろ半分余計だっつって削ぎ落として、よりシンプルに進化したのが俳句になります。このあたりから日本文化の精神性がうかがえますね。


しかし和歌は対象者をものすごく選びます。まず言葉を知らないとダメですし、言葉から連想される幅広い知識も必要で、その連想されたものを自分自身の記憶や感情と結びつけるための人生経験も必要で、歌から積極的にイメージを描き出そうとする態度もなくてはなりませんし、退屈さも欠かせません。


その条件を満たしていたのが平安貴族たちで、和歌という芸術形態は、言っちゃえば想像力エリートだけが面白がれる遊びなんですね。


もう一つ大事なのが価値観の共有でして、貴族たちはすごく強いルールで縛られていましたから、価値観の共有もその分強力で、そうなると歌から連想されるイメージの精度も高くなります。

お互いの性格や立場や最近の事件もそれぞれわかっていて、コミュニティが情報を共有してる状態ですから、その中では言葉の裏に「あ あれのことやな」というような当事者だけが知っている楽屋オチみたいなものも織り込まれます。それは同じ時代に居合わせた者同士でしか楽しめない隠れた秘密なのです。


だから中学生の私が和歌に全く興味を持てなかったのは当然のことで、圧倒的に知識も経験も不足していましたから 言葉以上の世界を描くことができませんでしたし、積極的に想像する態度も欠けていました。それに面白いものが他にいっぱいありましたからね。しょうがない!


まとめると和歌というのは、歌を聞いている間、聞き手の想像力によって作り出したオーダーメイドの世界にトリップできる芸術なのです。


もうちょい続きます!

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高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目