2020/07/14 01:27

7月13日 くもりときどき雨

本日のBGM Vinicius de Moraes, Dorival Caymmi, Quarteto em Cy


今日の午前中は高台を削る作業なんかをしていたんですけど、午後はなんかだらだらとしていまして、だらだらタイムが3時間を超えたあたりで、「あ、これは今日休みの日だ!」と気づいて 引き続きだらだらしていまして、

私の場合、就労時間は完全に自分で決められるので、休みの日も自由に決められて、休みたい時に休むことができるんですけど、この休みたい時に休むというのが実はなかなか難しくてですね、この休日問題は自由業の人が一度はぶつかる問題なんじゃないかしら。


休もうとしたら「休んでもいいものだろうか」というのが頭をよぎるんですね。例えば友達との予定などが入っていたりしていれば、その日は心置きなく休めるんですけど、自分1人で休むとなると どうも気兼ねして 完全にリラックスしてないと言いますか。


というのも私の場合だと あらゆる仕事が遅れていますので、遅れているのに作業を止めていいのかしら、ということが頭をよぎり、いやー引き受けたものの もうずっと再制作にとりかかれずにいるなー申し訳ないなーという考えがさらに出てきて、休む際に軽く罪悪感を持ってしまうのです。


しかも遅れている理由も「もっといいものになるはず」と思って 作り直しているので完全に自分のせいでして、これは職人的なこだわりと言えば聞こえはいいですが、作ってる人の傲慢ですね。

つまり私は自分のためにしか作っていないってことでしょうな。そして このことを自白することで開き直って、罪悪感を軽くしようという魂胆なのです。ここは今 懺悔室なのです。


別の意見で 自由業の知り合いが言うには、作業量と収入がリンクしてるから、今みたいな不安定な情勢だと、先が見えないから出来るうちにとにかくたくさんやらないと!ってなって休むことに対する不安があると言うケースもあるようです。休んでる間は収入ゼロ、っていうやり方だとどうしても「休んだら損」と言う強迫観念をもってしまうと思います。


もの作りの理想として、無駄なくスムーズに良いクオリティーのものを作る、というのがあるのですが、実際には失敗が多くて、クオリティーにも不満だから理想とのギャップがあって、そのギャップを埋めるために作業時間が増えるんですけど、

その行為は私の理性が指示しているものであって、理性の支持に肉体がついてこない時があります。それが今日なんですけど。


ここでの肉体には生理的な欲求というのも含まれていまして、私の本質はコアラのように毎日だらだらしていたい怠惰な人間なんですけど、それを理性が無理して働かせるもんだから、例え自分の意思でやってることとはいえ、心身ともに疲労が溜まっていくわけでして、


このことがわかっているなら、「前もって休むぞー」と1日たっぷり休めばいいんですけど、私の理性は肉体の疲労には気づかず、というか理性はもっと働けると思い込んでいますから、「今日も作業を進めるぞー」 と思ってしまって、

でも作業に取りかかろうとしても中々始めなかったり、無駄なことを延々とやっていたりする時に「あ、これはもう体がボイコットしはじめてるわ」と気づいて、それから休みの日に移行するわけです。

例えるなら妻の不満に目を向けようとせずに、妻が出て行ってしまってから無理をさせていたんだと ようやく気づく夫のような感じです。もっと理性が強い人だと、働きすぎて倒れたり、まとまった休みに風邪をひいたりするんだと思います。


人間の体ですので どこかで休みを取らなければならないから、休みを曜日とかで決めるのが一番いいと思うんですけど、そうやって決めた休みの日に限ってすげーやる気出たり、休みに合わせて行動するということにさえも私の生理的欲求は反発するので、決まった日に休むと言うのも、1人でできる仕事の人は決めづらいんじゃないかしら。


今日のだらだらしてた3時間は「そろそろやんなきゃなー」と思いながらの気が休まらない、むしろ焦りを蓄積するタイプのだらだらタイムなので、それが非常にもったいないですよね。

自由な時間割で仕事をしてても、結局 有意義な作業ができる時間というのは1日8時間の、週5日までなんだろうな と思います。

根性論でもっと働けると言う意見もありますが、それ以上は効率が下がったり、オーバーした分あとでツケを払うことになったりしてますから、よーく振り返って比較してみたら8時間がマックスなんじゃないでしょうか。

オーバーした分のツケを払う時間が今日の3時間みたいな、休んでる自覚のない時間でもったいないので、前もって 休む気持ちを作ってから休んどくべきですね。休む勇気!

とりあえず休みっぽいこととして、夕方に 最近モサモサしてきた髪の毛を いつものように自分で切って、見た目 ちょっとさっぱりしました。

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高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目