2020/07/22 01:24
7月21日 晴れときどき雨
本日のBGM The High Llamas
今日は晩ご飯に もらい物の うな重弁当を食べまして、同封されていたタレと山椒をかけて食べてたら いつの間にやら机が びたびたになり、どうなっとるんだこれは!と思って弁当の裏側を見たら、情緒不安定な少年がやるかたない憤懣の捌け口に箸でぶっ刺したような穴が規則正しく16個くらい開いていまして、その穴から先ほどのタレが下に漏れ出ていたようで、
この穴たちはおそらく弁当を蒸し焼きにするために必要な機構だと思うんですけど、となると弁当というよりも これはあくまでも持ち運びのための容器であって、家に帰ったら食器に移して温め直して しかるべきのちタレをかけるというものなのであって、そのままタレをかけるもんじゃねえぞ このすっとこどっこい と鰻屋の大将が愚民を嘲笑う顔が目に浮かぶようでしたが、
まあでも余計なタレが流れ出たおかげなのか普通に美味しかったわけで、目に浮かんだ鰻屋の大将の、職人気質と閉鎖的な交流態度との関連について考えながらいただきました。
今日は友人というか幼なじみというか半分親戚みたいな知り合いが来てくれまして、1歳と少しの子供と一緒に庚申窯のすぐ前の川で水遊びをしていたんですけど水が心地よい季節になりましたね。
連日の雨の影響でいつもより水流が強くて、上↑の写真の浅さでも たまに足を持っていかれそうなくらいでした。この子供は女の子だったんですけど、好奇心と危険への警戒心が大変バランス良くて、手が かからなくていいわねと思いました。
彼女は流れの緩やかなところでコンクリートの川底に転がっている石をバケツに積んで、ある程度たまったら取り出して また川底に積んで、という反復作業をしていまして、
まるで賽の河原で父母供養のために石塔を作ろうとするも、完成しそうになったら鬼がやってきて積み上げた石を壊すので、子供は永遠に石を積み続ける という一連のくだりを1人でやっているようで大変に微笑ましい光景でした。
一方でファーザーの方はもともと野生児みたいな人で、最近も素潜りで石鯛を捕まえたと言っていましたので、子供に注意を払いつつ私も一緒に魚を捕まえたりしてました。
魚を捕まえるとかそういう狩猟の類は 人類がずっと昔からやってきたことなので、本能レベルの快感だからとても面白いんだと思います。なので結果的に逃すとしても、何かを捕まえるのはゲームとして成り立ちまして、
もし狩猟をずっと昔から男女で役割分担してきたとしたら、その楽しさの本当のところは女性にはわかりづらいのかもしれません。
「結局逃すのになんでそんな夢中になってんの?」という女性の疑問への答えとしては、「目的のない会話をどうしてそんなに続けられるの?」という男性の疑問がちょうど対になっているかもしれないですね。
この写真くらいの浅いところにも魚はいるもんで、写真は撮りませんでしたが 多分ドンコの稚魚かなんかだと思います。稚魚なので生存戦略としてこの浅瀬に住み着いているわけですね。大きい魚から逃れるために。
魚にとって陸地というのは水のない死の世界ですから、岸辺というのは境目にあたるんですけど、多くの水棲生物の幼生が 岸辺や浅瀬に住み着いているというのはとても面白いですね。
死ぬギリギリのところにいるからこそ捕食者からの脅威を避けられるわけで、でも浅瀬にいるから ひょんなことで水に戻れなくなったり、我々のような陸棲生物たちに捕まえられてしまうという、どちら側にも危険があるわけで、
その波打ち際に いいバランスで居続けた子供たちだけが やがて大きくなって今度は捕食者になるわけですけど、その意味で言えば彼女は自然的にいいバランス感覚を持っているなあと思いました。
高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目