2020/08/03 01:34

8月2日 晴れ

本日のBGM Wes Montgomery - Polka Dots & Moonbeams


今日起きたらやけに煙たくて、近所のどっかが草でも焼いておるなと思ったら煙の発生源はうちでして、父が梅雨前から庭の木をボリボリ切って、積んでいた枝葉を今日焼いていたようです。


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私が見かけた頃にはもうあらかた焼き終わっていたみたいで、この枯れ葉のあるところに枝が山になって積まれていたんですけど、それがほとんどなくなっているから 明け方から焼いていたのだと思います。

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その午前中に焼いていた灰が、さっき見たらまだ赤く光って熱を持っていて、やはりこうなるとなかなか火は消えないのね と思いながら月の光も良い感じだったので 灰の前に座って しばらく灰の中の火を眺めてから、一応ホースシャワーで水をかけておきました。

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庚申窯はINAKA☆にあるので、庭の木の量も半端じゃなくて、祖父が生きていた頃は祖父が管理していたからよかったんですけど、というか木は全部 祖父が植えたやつだからそもそも増やしたのが祖父だったんですけど、

祖父は毎日2〜3時間くらい庭の手入れをしていて、それでなんとか均衡が取れていた訳で、祖父という抑止力のなくなった草木たちは猛烈な勢いで増殖していて、草木を食い止めるために 今では父が庭の木を選定してくれています。


祖父が死んですぐの頃は私が庭の木を切っていたんですけど、庭づくりというのははっきり言って私の大好きな分野ですから、やり始めると庭づくりに集中してしまって、たぶんそのうち公園とかにある 柱と屋根だけの6角形の東屋みたいなのを作りかねないほどでしたので庭の木を切るのをやめて、

あとその頃から焼き物作りも色々と制作が遅れ始めたので、焼き物作りの方に注力して、となると庚申窯に残る剪定労力は父だけですから 現在では父が庭の木の担当となった次第です。


庭の剪定は父の方が向いていまして、とにかく容赦なく切っていくから かなり時間効率がいいんですよね。私が剪定すると

「ここにベンチを置いて、立っていた時と座っていた時で視線が変わるから その時に見える景色を変えるには このくらいの高さでツツジを切って、その奥の椿の木はこの場所での主役になるからちょっと背を低くこんもりさせて、その椿の前が人の通り道になるけど あまり見通しを良くしちゃうと奥行きが失われるから道を少しカーブさせて、、」

などとめんどくさいことを考え始めるので全然作業は進まなくて、しかもそれが楽しいから時間がいくらかかっても問題ないということで、私は将来退屈しねえだろうなと思って、だから焼き物作りが落ち着いたら庭作りに取り掛かりたいと思っているので今は庭のことを放置しております。


庚申窯のある福智町は剪定した枝葉を自分たちで燃やすことができるんですけど、他の町ではそれができないところが多いそうで、例えば福岡市は野焼きや火災と間違えるような焼却行為が条例で禁じられているんですけど、

福岡市にある高取焼の窯元も、薪で窯を焚く事も禁止事項に含まれるから薪窯を焚けないそうで、薪窯が使えないから電気窯での焼き方を工夫して、まるで薪窯で焼いたような色合いを出しているから、それはすごいなあと思っていまして、

むしろそのような制約があることで、今までのやり方では作られなかった高取焼の技法も発明される訳で、一概に薪窯を焚くことができないのは陶芸家としてマイナスだとは言えないということですね。


でもこんな風に 切った木を燃やすことができないのはすごく不便ですよね。業者に頼んだら高くつくし、その辺は田舎の方がいいなあと思います。

便利っていう事もあるけど、何かを燃やす行為って人間は好きなんじゃないかしら。人類が火をコントロールして使い始めた時期は正確にはわかっていないそうですが、少なくとも数万年前とかなので、もしかしたら体系化した言語よりも火を扱ってきた歴史は古くて、言葉よりも本能的な行為なのかも知れませんね。

だから薪窯を焚く時って火を燃やすこと自体の快感もいくらかあるんじゃないかしら。最近焼けてないから、今年あたりは薪窯焚きたいですね。


おれ800

高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目