2020/08/24 06:13

8月23日 雨のち晴れ

本日のBGM Lyn Collins - Fly Me To The Moon

子猫〜36日目〜

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現在において飛行機は世界一事故率の少ない乗り物となっていますが、20世紀初頭においては世界一危険な乗り物であって、第一次世界大戦を生き残った飛行機乗りたちは、戦後の曲芸飛行や郵便飛行で そのほとんどが事故で死んでしまって、当然彼らは保険にも入れなかったんですけど、

リンドバーグがたった5年のキャリアで大西洋横断に成功した、というよりはそのような状況で5年も飛行機に乗り続けていた というのが既にすごいことなんですね。

パイロットの訓練学校というのもあったんですけど、生徒たちも訓練中に死んでしまうことが多く、というのも空を飛ぶ感覚というのは それまでの人類が経験してこなかったものなので、どうやって機体を操ればいいのか というマニュアルやノウハウが全くなかったのです。

だから生き残る生徒たちというのは 先天的な感覚で飛行機を操ることができた人たちで、でもって当時のアメリカの航空産業というのはヨーロッパに比べてめちゃくちゃ遅れていて、

第一次世界大戦に参戦した1917年からアメリカ軍も急いで飛行機を作りはじめるんですけど、技術の基礎が確立してないから ろくな飛行機が出来なくて、出来上がったものも時代遅れで とても実戦では使えないような代物だったので、アメリカ軍のパイロットはフランスとかの飛行機を借りて戦ってたんですけど、

それも飛行機の設計レベルが違うから、アメリカの飛行機で訓練したパイロットたちは 現地で改めて飛行機の乗り方を習っていたという有様でした。

そのような事情で アメリカ軍は戦争が終わるまでのたった2年間で 何千機と飛行機を作ったんですけど、その飛行機たちはほとんど実戦で使われることがないまま戦争が終わって、それで こんなにいらねーよ って払い下げしたものを 若者たちが買って、その多くが事故死してしまうんですね。

ということで1920年代前半というのは みんな軍の払い下げの、あまり上等でない飛行機に乗っていて、その状況で生き残る奴らというのは生物学的な淘汰を潜り抜けたツワモノで、リンドバーグがその最たる人物だったわけですが、その他にも多くの飛行家たちがこの時代から出てきます。


長距離飛行の際にはパイロット2人で飛行機に乗ることが基本で、お互いをサポートしたり交代したりとメリットが多く、現在の旅客機にもそのスタイルは受け継がれているんですけど、

リンドバーグは大西洋横断のための飛行機を作る時にも「いや他人と一緒に乗ってもどうせ揉めるだけだし そいつの分飛行機が重くなるから1人でいいよ」って言って1人乗りの機体に、

エンジンも3つくらい載せて一つが故障しても動けるようにしたら?って提案されても「いや3つもあったら色々ごちゃごちゃして その分不具合が起きやすくなるし、重くなるからエンジン単発でいいわ」ってって単発エンジンに、

「あと大西洋ずっと海しかないから、前なんか見なくていいんで、そこにガソリンいっぱい積めるようにしてちょうだい。」ってことで出来上がったスピリット オブ セントルイス号はリンドバーグが大西洋を飛ぶためだけの飛行機としてオーダーメイドされました。

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今見るとよくこれが飛ぶなあと思ってしまいますね。かっこいいですけどおもちゃのような感じがして。

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操縦席は翼の下に開いてる窓のところなんですけど、この窓もガラスとかなくて そこだけ鉄板が切り取られてるだけなので 風が直に入ってくるんですけど、当時の飛行機ですから速くても200キロくらいしか出ないので問題なかったんでしょうね。高度もそんなに高くないし。

前を見ることができないリンドバーグ はこの窓から顔を出して確認するか、もしくは鏡を使った潜水艦の潜望鏡みたいなので前方を確認してたんですけど、その鏡は「翼よあれがパリの灯だ」でも演出が効いた小道具として登場しますので、次は映画のことを。


高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目