2020/09/13 08:42

本日のBGM やまがたすみこ - ムーンライト・ジルバ


昨日はやる気元気いわきスイッチがオフになってきている感じがして、焼き物作りは粘土の乾き具合と歩みを合わせて作業が進むので、途中で休むというのは あんまりよろしくないんですけど(特に大きいものをたくさん作ってる時などは降りられないレースと化します)、

昨日はちょうど今まで取り組んでいたものが終わって、次のに取りかかる前のタイミングで、急務な作業がなかったのでここは一丁ダラダラしようと思いまして、

私にとっての休みの日というのは 寝たい休みたい動きたくない何もしたくない という 私は貝になりたい型の休日の過ごし方になるんですけど、

学生の頃を振り返るとそんなことはなかったなあと思いまして、休みの日はむしろ平日以上に活発になり、外へ出て回遊するカツオ型の休日を送っていたのですが この差ってなにかしら。


学生の頃は今よりも元気だったからである と言われれば それは確かにあるかもしれません。単純に体力の問題ということでしょうか。

でも疲れてるからといって何もせずに家で過ごすということに、学生のころは罪悪感のようなものがあったというか、

特に大学生の時などはバイトで夕方5時から朝5時までってのが連日続いてたりすると、むしろ そういう時にこそ、なにか休みの日でしかできないことをしなきゃ!という強迫観念みたいなものがあって、

もしバイトが、楽しくて勉強になって自分の未来につながっていくようなものであったら休日はもっとリラックスしていたのではないかと思います。

実際のバイトはそんなのではなかったので、まるで働いていた時間というのを負の遺産のように捉えて、それを帳消しにするために休みの日は なるべく有意義な時間を過ごさなければいけない という取り戻し作業になっていたのではないかしら。

その有意義さ というのは自分に対してのものでしたが、同時に人に対してアピールするための有意義さでもあったと思います。


学生というのは個々人の差が小さい、というか差が小さいもの同士がつるむ傾向があるので、その中で「自分は学生生活をちゃんと有意義に過ごしてまっせ」というプレゼンのために他人のお眼鏡にかなうような休日を過ごそうとしてた面も大いにありまして、

そこいくと「絵を描いてた」というのは休日の過ごし方の答えとして大変に便利なフレーズでして、休日らしい感じがある一方で、上等な趣味感、人生の充実感も醸してますし、

毎回「絵を描いてた」で答えても またそれ?とはならず むしろ繰り返し使うことで しっかりした芯のある取り組みのような感じがして、

そもそもあなた達の有意義な休日をどう過ごしているか というマウントの取り合いには参加しませんことよオホホ、というマウントの取り方ができるわけで、まあ実際に絵は描いていましたが このフレーズを手に入れてからは鬼の首を取ったかのように乱用しておりました。


なんというか 私は私でそれなりに楽しく有意義に過ごしているんだから、それを休日どう過ごしてるかという尺度で私の人生を勝手に評価しないで、という気持ちがあったのではないかしら。

その気持ちを誤解されず なんなら実際以上に高く評価され、なおかつ端的な言葉が「絵を描いてた」であったみたいです。多くを語らずがむしろ効果抜群なのです。


そして今では「休みの日ぃ?何にもしやしませんわい。ビール飲んでてビールの缶でスチール缶が増えだしたのはなんでだろうとか考えてましたわい。趣味ぃ?寝ることですわい。」という風になっております。

仕事のタイプによって休日の過ごし方も変わるみたいですね。


画像1


高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目