2020/09/17 10:50

本日のBGM Simon & Garfunkel - America

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リンドバーグは25歳でニューヨーク - パリ間の無着陸飛行に成功し、到着したパリのル・ブルジェ空港には彼の到着を歓迎する ものすごい数のフランス人が押しかけ、到着したリンドバーグは興奮した群衆にわっしょいわっしょいされて30分間胴上げされ続けたと言います。

出発前は情報が漏れたことで大勢の記者がホテルに詰めかけて緊張で眠れなかったし、フライト中の33時間も当然眠ることはできず、

夜の10時半くらいに到着したパリでは熱狂した群衆に迎えられ、新聞社のインタビューなどもあって 結局朝の4時まで起きる羽目になったので ようやくアメリカ大使館で眠れたのは63時間ぶりだってんだからたまりません。


目が覚めたら大使館の前には またしても人で溢れかえっており、1週間滞在したフランスではどこでも熱烈にもてはやされ、フランス大統領からは勲章までもらうし、リンドバーグはフランス国民から大いに受け入れられました。

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その当時ヨーロッパ が思い描いていたステレオタイプなアメリカ人像と違い、リンドバーグは細身で 少年っぽい顔立ちと 大人しく控えめな振る舞いであったので、その様を慎ましいとか上品とかクールなどと捉えられたのか、それまでヨーロッパ が持っていたアメリカ人への評価を一変させることになりました。

ベルギーやロンドンにもスピリット オブ セントルイス号で飛んでって、どちらでもフランスと変わらないくらいの熱狂的な歓待を受けます。そんな感じで人々の好感度がめちゃ高かったので各社から巨額の広告オファーを受けますが「金儲けのために飛んだんじゃないんです」って断って、またしても好感度が上がります。


そして本国アメリカではそんなヨーロッパの熱狂ぶりとは比べ物にならないくらいのフィーバーで、新聞はリンドバーグの功績から家族から生い立ちから大々的に書き立て、加えてヨーロッパでも評価され尊敬されているというニュースは アメリカ人の自尊心を大いに育むことになります。当時のアメリカがどれだけヨーロッパにコンプレックスを持ち、どれだけ認められたかったのか ということですね。

リンドバーグはアメリカの国民感情レベルで英雄になり、政府はこれを見逃しはしませんで率先してリンドバーグの帰国を歓迎します。


帰国したニューヨークでのパレードは400万人が集まり、大変などんちゃん騒ぎで 建物の窓からは延々と紙テープが降り注ぎ、振り撒かれた紙吹雪の量はアメリカ史上で最多だったそうで、本当に降り止まなかったそうです。

↓無声映像ですけど2:30くらいのところですね。しかしこの時代の人たちはみんな帽子かぶっとんな。

パレード2



リンドバーグは人々の認識を一晩で変えまして、それはヨーロッパのアメリカ人像もそうだし、アメリカ人の国民感情もそうですが、一番は飛行機に関する認識で、それまで民間での航空機の活用がてんで発展してなかったのには 人々の飛行機に対する不信感があったからなのですが、

25歳の青年が1人きりでニューヨークからパリへ、たったの1日半で到着したという事実により人々の飛行機への認識はガラリと変わります。


大西洋横断後もリンドバーグは、広告は断るけど、みんなが飛行機に触れることで 航空産業の発展につながるなら ってことで 「うちにも来てくれ」って依頼があればセントルイス号に乗って どこへでも飛んでいきまして、

アメリカの75都市を回ったのち、中央アメリカのグアテマラとかホンジュラスとかメキシコとかベネズエラとか13か国を回り、セントルイス号は1年間で総飛行距離6万キロくらいを飛んで、飛行機の速さ、便利さ、そして空を飛ぶことへの憧れを人々の記憶にしっかりと刻むことになりました。

その結果 航空機関連の株は爆上がりし、アメリカの航空産業の発展は目覚ましいもので、リンドバーグが無着陸飛行に成功した後の10年間で 飛行機は鉄道にとってかわり、ヨーロッパの航空技術を追い越すまでになります。


これだけ安全なんです、これだけ便利なんです、といくらキャンペーンを張っても、その中心にあるのが鉄の塊の飛行機だったら たぶん人々の認識はそれほど変わらなくて、きっと人の認識を変えるには その中心に人間が必要なんだと思います。

もしリンドバーグではなく先に大西洋横断に挑戦して行方不明になってしまったフランス人のナンジェッセとコリがそのフライトに成功していたら 今とは随分違った歴史になっていたかもしれません。

リンドバーグは航空機時代幕開けの偶像となり、人々の飛行機への認識を変えるとともに、他の飛行機乗りたちにも影響を与え、この時代に多くの冒険飛行家が世に出て 今でも使われる飛行機の空路の発見や開拓に貢献します。その冒険飛行家を支えたのは人々の航空機への関心 という土壌です。土壌があればスポンサーがつきますので。


慎重で入念に積み上げた計画性と、リスクを受けてたつ大胆な行動力という一見相反する性質をリンドバーグは持ち合わせていて、それは未開の地を開拓するのに欠かせない要素であり、挑戦することのへの真摯な向き合い方だとも言えます。

挑戦すること、挑戦する人間を応援する人間がいること、そしてそれが当たり前の文化になっているということは アメリカが獲得した大きな財産なのだと思います。


「翼よあれが巴里の灯だ」とリンドバーグの話 おわり


リンドバーグ


高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目