2021/01/12 00:56

本日のBGM 間宮貴子 - 真夜中のジョーク


今更ながら正月の演芸番組を見てまして、というか聞いてまして 作業中に、その中で女芸人の友近と近藤春菜がユニットを組んで、それぞれ徳川徳子、徳川徳夫という架空の人物に扮して、世の中のありとあらゆる流行りごとに対して 私がはじめた、いや俺がつくった、と言い争うという内容だったんですけど これが大変に面白くてですね、

言っちゃえば誇大妄想狂同士の会話なんですけど、ツッコミ不在のまま延々と続けられると 双方とも完全に間違っているが故に一つの真理をついているような気がして、なんだか正しいとさえ思ってしまう、狂気は伝染するというやつですな。

元々はライブ配信で即興でやってたものがベースになっているらしくて、出てきたワードに反応して答えると、そこでまた出てきたワードに相手が乗っかって、波乗りのように どんどんどんどん会話がスライドし続けるという連想ゲームのようなもので、つまりフリースタイルラップみたいなものですよね。

ていうので思い当たるのは かつて立川談志と月の屋円鏡がラジオでやっていた談志・円鏡の歌謡合戦という番組で、こちらも即興で話をスライドさせ続けるということだけを やり続けるというものでしたが、

こういう即興の会話を芸として成り立たせるには お互いの頭の回転スピードが近く、知識も広く共有している必要があるわけですけど、それは聞き手側もそうで、その条件が揃っている状態で即興で繰り広げられる会話に 自分の頭の回転も上げて参加していると、不意にポーンと そこからそこにいく!?とか、それはうまい!とか、意味わかんね!みたいなフレーズが飛び出してきて、感心すると同時にたまらなく可笑しく、面白いのではないかと思います。

でもやっぱり知識群、特に芸能ネタなどは生まれた年代で大きく変わるから、一番面白いのはやはり同年代とやることなんでしょうね。ラップは照れるけど。でも照れを捨てるから脳が開放されるんじゃないかしら。

相手の言葉に瞬時に反応して自分の言葉を出す、というのを繰り返していくと、思考のだだ漏れみたいな状態になって、思ったことをすぐに口に出すのは常識で咎められて、日常生活を送る上で押し込められているものだから、そこから開放されるのはとても心地よいのではないかと思います。まあ笑いというものの役割がそうなのかもしれませんね。

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高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目