2021/04/23 22:18

本日のBGM はしだのりひことシューベルツ - 風


今日から3日間「上野焼 春の陶器祭り」が開催されてまして、1日目は終わったんですけど、お越しいただいた方々や手伝っていただいた皆様各位ご一同お歴々誠にありがとうございました。

いやー陶器祭りの天気は良かったり悪かったりで当たりハズレがあるんですけど、今日の福智町はウィンディタウンでしたね。風が強えのなんの。春の嵐とはいうけれど、一日中風が強くてファッキンシットなウェザーでした。やはり風は嫌いですね。

以前風は 風化やリセットの象徴であり 体現者だから 物理的な創作とは相性が悪い、なんということを書きましたけど、今日もいろいろなものを飛ばしたり倒したりして、その度に元に戻しては飛ばないように重しをのっけて、また飛ばされて、その様はまるで賽の河原で石を積み上げては鬼に崩されるという例の状況のようで、

風に実態があったら平手打ちでもかましてやりたいところですが、あの人たちは運動のみの存在だから我々人間にはどうしようもなくて、なんかそのどうやったって抗えない感じというのが、説話の中に出てくる鬼というものの絶対性であって、

現代では鬼を殺す物語が多いから鬼に対する畏敬の念みたいなものは薄くなっているけれど、そもそも人間にはどうすることもできない、という現象を伴うものが鬼だったのかしら、なんて風に吹かれながら思っていました。だとすると鬼嫁というのも あながち的外れな表現ではないのかもしれませんな。


今日はテレビで陶器祭りを告知してくれるというので紹介映像に登場させてもらったんですけど、いやはや生放送というのは大変なもので、それは技術的なことや、タイムスケジュール的な大変さというのはあるでしょうけど、私的には一回リハーサルしてから本番ってのが性に合わないというか気恥ずかしいというか、

私のようなタイプは 真っ白な半紙にこの文字書けと言われたら下手なりに伸びやかに書けるんですけど、それをもう一回、同じようになぞって書けと言われると、これが難しいんですよね。どうしても筆運びが固くなってしまいます。「リハーサル〜の本番」にはそんな感じの苦手意識があります。

とするとここで大事になってくるのは忘却力になるんじゃないかしら、と思いまして、自分が喋ったことを丸々忘れて、2回目でも初めて喋るかのように前の筆跡を忘れることができたら、これは伸びやかに筆を動かすことができそうですよね。

競技カルタの世界でもトーナメントで勝ち上がるために必要な能力として忘却力があるそうで、前の試合の札配置やイメージを忘れることで、一回一回の試合のパフォーマンスが上がるんだとか。

卑近な例でも忘却力には心当たりがありまして、酔っ払った人が何度も同じ話をするやつ、庚申窯の2代目がよくやるやつ、あれだな と思いまして、聞き手側はその話前に聞いたんだけど、と時間の流れがスローモーションになったかのような錯覚に陥るんですけど、

本人としては初めて喋るぜ!って感じで生き生きと喋るわけで、その時は忘却力が非常に有効に働いていますよね。少なくとも本人にとっては。

つまり忘却力と言うのは集中力といってもいいのではないかしら。目の前に集中することでパフォーマンスを最大化することができるわけで、そしたら忘れると言うことも決して悪いことではないんじゃないかしら。

ってことで今日は写真を撮るのを忘れたので文字だけでお送りしました。



あ、でも今日一番教訓に残ったのは外にお菓子を置きっぱなしにしてはいけないと言うことで、生放送から戻ってみたら かなりの量のお菓子がなくなっておりまして、どうもカラスにお菓子をかっさらわれたようです。お菓子のしまい忘れには注意しましょう。ファッキンシットカラス。


高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目