2021/05/03 00:52

本日のBGM 森田童子 - ぼくたちの失敗

五月病についてなんですけど、五月病は4月の新入生とか新入社員とかの人たちの、環境の大きな変化によるストレスが原因で無気力になってしまうそうですが、4月中はみんな気張っていたけれど 新しい環境に慣れる前にゴールデンウィークで長い休みが挟まれて、その落差で食らってしまうやつっぽくて、

私の方はと言いますと「今ってもうゴールデンウィークなんだっけ?」というくらい変化に乏しい日々を送っているので五月病とは縁遠いんですが、でも似たようなものは わたくしめの様なものにもございまして、展示会なんかに合わせてバタバタと準備をして、終わった後のあの なんにもしたくねえ感、

そして次の仕事に取り掛かる時の億劫さもありまして、「ちゃんと作りたい」と思うものほどめちゃくちゃ億劫になり、しばし現実逃避の時間を要することになります。この仕事と仕事の間の無気力ゾーンが五月病に相当するのではないかしら。

つまり「ちゃんとしなきゃ」という責任感の強い人ほど五月病になりやすいのかもしれませんね。だから私も責任感の強い立派な人であるんですな。そうに決まってる。

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「自己なんというものは、もともと存在しない」と説いたのはソクラテスですが、人間の自我や個性というのは その人の経験によって培われていくもので、どういった経験や知識を獲得しやすいのか という大まかな方向性は その人の遺伝子パターンで決まっているでしょうけど、毎日の経験によって自己は変化していくということですね。

創作活動における作品はその人の自己を投影したものですが、その自己は数多の経験によって構成されているわけで、

「芸術は技芸ではなく、それは、芸術家が体験した感情の伝達である」って言ったのはトルストイで、また多くの芸術家たちが「創造とは模倣である」的な言葉を残しています。つまりあらゆる創作活動の始まりにはインプットがあるということですね。

適当な日本語が思いつかなかったのでインプットと書きましたけど、他の人が作った作品に触れたり、知識や感動などを経験することで自分の中にそれらを取り込んで、より深く感動したものを模倣して、吐き出したものが創作、アウトプットになると思います。

なので創作をするには まずたくさん感動しなければいけないわけで、創作によるアウトプットで全部出しきっちゃうと倦怠や停滞感に陥ってしまう、いわゆる燃え尽き症候群になるんではないかしら。

ソクラテスおじさんの言ってたことを卑近な例で例えるなら、人間ちゅうのはスポンジみたいなもんで、本来は味も色もないプレーンなもんだけど、いろんなスープをちゅうちゅう吸って それで味や色が混ざった状態のスポンジが自己であって、パンパンに膨らんだスポンジから滴り落ちてきた これまでとはまた違う味のエキスが創作物になる、という感じじゃないかしら。

ほんで燃え尽き症候群は このスポンジをぎゅーっと絞って出し尽くしたもんだから スポンジがパサパサになっている状態で、その状態で さあまた作ろう と頑張ろうとしても 全部吐き出しちゃったから全然やる気にならないわけで、それよりもまた新しいスープにたくさん浸かって、プルンプルンのスポンジになった方が、一見遠回りに見えて近道だったりするんじゃないでしょうか。


創作活動に限らず、何かをやる際の「意欲」と言うのはこれと同じような原理だと思います。どんなものでもいいから感情を動かされることで やる気元気いわきスイッチが入ると言うことで、

感動はネガティブな場合でも効果があって、一旦は傷つくだろうけれど やがてそれはエネルギーに変わって、そのエネルギーを上手に使わないと散財とか自傷行為とかに行っちゃって、まあ散財も自傷行為の一種のような気がするけど、そうならないための防衛機構として創作活動があるのではないでしょうか。昇華ってやつですね。

てことはルサンチマンを溜め込みやすくて、すぐスポンジがパンパンになる人ほど芸術家向きで、要するに器のちっちゃいやつほどアーティスト適性が高いと言うわけなのです。


私のスポンジの場合 おもしろいものを見聞きすることでチャージされて、美しいものに触れると触発されて意欲的になります。のんびりしちゃいらんねーぜと焦るんでしょうね。私も美しいものを作りたい、そのための行為として 今やることは意味がある と深く信じられることが一番大事だったりします。

だから宗教画家とかは最初から神への信仰があるわけだから ここのプロセスが容易で、一方 現代作家系の人はオリジナルを切り拓かにゃならんので病みやすいみたいです。自分の信じるものが揺らぐと これまでのことが徒労に思えてきますからねー。

伝統工芸はどちらかというと宗教芸術に近いと思います。伝統というものに安心して身を預けられるわけで、伝統にガチガチな人の方が創作における葛藤が少なく、作品をたくさん作れそうですが、そこからの変革を志すと一転してハードな道になっていきそうです。模倣の次のステップは否定なのかもしれませんね。

まとめると「五月病にかかったら感動したらいいんじゃないの」 てことで今夜の私は森田童子を聞いて感動エンジンふかしながらお皿の高台を削っていました。ヒィア!ブンブン!BKB!

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高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目