2021/05/23 20:31

本日のBGM Bill Evans Trio with Jeremy Steig - Love Theme from Spartacus


ふと「私、失敗しないので」と高らかに言い放つ米倉涼子を思い出しまして、すげえこと言うなあ と改めて思ったんですけど、

これはドクターXというドラマの話でして、フリーランスで凄腕の医者である 米倉涼子扮する主人公が、成功率の低い難しい手術を受け持つ際の決めゼリフ、だと思うんですけど、

ドラマをちゃんと見たことがないもので 確かそんな感じよね と調べたら 秋からまた新しいシリーズが放映されるということが丁度ニュースになっておって、なんてタイムリーに思い出したのかしら。あるいは気づかないうちに広告でも見て無意識に刷り込まれてたのかしら。

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私のように「手作りなのでね、しかも天然の原料とかも使うし、窯で焼くというのはアンコントローラブルかつアンエクスペクテドな要素も多いものでして、ええ、ですので仕上がりは一定のものではありませんです」と 張れるだけの予防線は張っておいて、

失敗したら「ね、言ってたとおりでしょ」と逃げに徹する卑小な人間にとって 彼女の名台詞は大変に眩しいものです。


しかして卑小なわたくしは思うのですが、「失敗しない」というのは いいことなのかしら。いや失敗すると患者の命に関わってくるので失敗しないに越したことはないけれど、失敗しないことは次第に本人、役中の米倉涼子にとって重荷になってくるんじゃないかしら と思いまして。


このドラマがヒットしているのは 未だ組織というものが強い日本で、組織によるしがらみや慣習を強要される人たちにとって、彼女が非常に痛快なキャラクターであるからですよね。

個人が 組織のルールや慣習を無視して 権威者たちに吠え面をかかせる というカタルシスは、彼女がどんな難手術でも絶対に成功させるという無二の存在だから成り立っていると思うんですけど、

そんな人がたまに失敗したりして 手術の成功率がそこそこ優秀な医者とかと変わらなくなったら これはもうすぐに追い出されちゃいますよね。だって吠え面かかせられるのは組織にとって不快ですものね。


話はちょいと横道にズレまして、ハリウッドの名優カーク・ダグラスに「才能のあるクソッタレ」と言われたのは映画監督で完璧主義者のスタンリー・キューブリックですが、映画やアートなんかの世界においては 現実でもこういった人物像は成り立っていますよね。

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映画における成功とは とりあえず興行的成功や映画賞受賞とかがあるけれど、でも興行収入が振るわなくても これはアートとして価値があるとか、一定のマニアに人気とか、本人にとって完璧な映画、とかだとしたらその作品を失敗とは断定できないわけで、

失敗判定の曖昧さと、次で大ヒット飛ばしたら挽回できる というのもあるからアート性の高い商業の世界では才能によるわがままというのは成り立ちやすいみたいです。


話は戻って医療の場合は「患者の死」という明確な失敗があるし、映画みたいな大ヒットとかもないし、そもそも組織があるからこそ現代医療というのは成り立っているわけで、

もし彼女が本当に今まで失敗してこなかったとしたら、今更失敗してしまった場合 これは本人にとってもやばいんじゃないかしら。


組織に属さず一匹狼を貫く彼女は、自分の正義にそぐわない慣習を受け入れることができないわけだけど、それは信念が強いとも言えるし、プライドが高い、とも言えますよね。

彼女がプライドの根拠としているのは圧倒的な手術能力なわけで、そうするとどうなるんでしょうか。「失敗しない」という前提で成り立っているプライドと、自身を取り巻く環境なわけだから、失敗しちゃうと どちらかを変えざる得ないですよね。プライドを変えるか、あるいは現実を変えるか ということになります。


プライドを変えるというのは この場合 迎合する、柔和になる と言うことで、長いものにも巻かれるようになるし、我を通せない場面も出てくるし、できない人の気持ちを理解するようにもなってくると言うことで、「普通に」優秀な外科医に近づいていくことになりまして、

それは人間的成長ではありますが、こうなっては視聴者の望むカタルシスは得られないし、もしそのように成長してしまったら この物語も終わらざるを得ないんじゃないかしら。


一方で現実を変えるというのはどういうことになるんでしょうか。現実そのものを変えるのは難しいから 本人にとっての現実の認識を変えちゃうことになるのかしら。

例えば失敗した手術を心の奥底にしまいこんで表層意識から取り払い、自分の中でなかったことにしてから、その事実を知らない別の国に行っちゃって、そこでまた「私、失敗しないので」と言って完璧な自己を保つのか、

あるいはあの失敗は自分のせいではなくて スタッフのせいだとか、事前情報の不足のせいとかにして自分の失敗だとは認めないとか。

もしプライドを曲げられないとしたら外科医という体力的にハードな仕事で、年齢とともにパフォーマンスが落ちていく彼女はどういう選択をしていくのかしら。

失敗するかもしれない高難度の手術は断って、失敗しない実績を積み重ねていくのか、あるいはどうしようもない局面になったら もう医者は辞めた と引退して自分の歴史を綺麗なまま残そうとするのか、あるいは自死というのも選択肢に出てきますよね。あまりにそこに固執すると。

「失敗しない」ということに重きを置きすぎるのは、背水の陣ってことで自分を奮い立たせてる側面もあるだろうけど、それはとても大変な道なんじゃないかなあと年中失敗しまくってる私は思うのでした。



高鶴裕太 コウヅルユウタ
陶芸家
1991年生まれ
2013年横浜国立大学経済学部卒業
上野焼窯元 庚申窯3代目